バランタイン、ついに21年を
サトイモの感想:おぉ上品の極致!
好き度:7/10
試してみる価値度:6/10 参考価格14000円前後(25/2)
・上品なバランタインを飲みたい方
・優しく、それでいてしっかりスコッチを感じたい方
香り:華やかフローラル、透き通った葡萄と林檎のような甘さを伴うフルーティ、奥にスモーキ―さも
味わい:スーッと口と喉を通っていき驚くほどスムース、クリアでジューシィなフルーツとスモーキ―さのバランスが絶妙、余韻はウッディさを感じさせ奥が深い
ロック、スウィートさが奥に身を潜め、キリっとグラッシーさ、フローラルが広がり面白い
最低でも21年以上熟成させたウイスキー原酒を、40種以上ブレンドしてつくりだされた超長期熟成タイプのウイスキーで、スコットランドのスペイサイド、ハイランド、アイラ、ローランドと、4つの地方の厳選されたモルト原酒、グレーン原酒を40種類以上使用しました。
バランタインの特長である、フルーティーでバランスの取れたエレガントさがベースに感じられます。
バランタインについて
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1822年、13歳のジョージ・バランタインはエディンバラで食料品とワイン、ウイスキー類を扱う商人アンドリュー・ハンターのもとに年期奉公の修行に出る。
ジョージが奉公修行に出た翌年、ウイスキー蒸留認可制度により、密造時代は終焉を迎え、1824年には新しく認可を受けた蒸留所が次々と誕生していく。
1827年、ジョージ・バランタインは徒弟奉公を終え、エディンバラのカウゲートに小さな食料品店を開いた。
サービスと品質のよさでバランタイン社の商売は繁盛する。
1853年、エディンバラでウイスキー商を営むアンドリュー・アッシャーが、熟成期間の異なるさまざまなモルトウイスキーを混ぜ合わせたヴァッテド・モルトウイスキーを製造。
アッシャーの友人であったジョージ・バランタインは、この発見と彼の苦心談に閃き、グレーンウイスキーとモルトウイスキーを混ぜ合わせブレンドの技術を磨き始めた。
ジョージ・バランタインは長男であるアーチボルトに商売を任せ、ウイスキーのブレンディングに打ち込むためにグラスゴーへ移り住む。
世間ではブランデーを製造するためのワインの原料となるブドウが凶作となり、高級蒸留酒に飢えた上流階級の人々がブレンデット・スコッチに殺到した。
ジョージはグラスゴーでウイスキーの卸売りを軌道に乗せ、また、専門の知識を傾けて独自のブレンデット・スコッチの完成を目指した。これがのちのバランタイン17年の礎となる。
1895年、ジョージ2世が父親から事業を引き継ぐその年、ヴィクトリア女王がグラスゴーを訪れ、バランタイン社に王室御用達の称号を授与したのである。
1910年、バランタイン社はバランタイン・ファイネストを発売。
1937年、マスターブレンダーのジョージ・ロバートソンによってバランタイン17年は生み出された。
時は、ジョージ・バランタインがこの世を去って約50年の月日が経とうとしていた。
今から約80年前につくられたバランタイン17年の極秘レシピは、現在に至るまでほとんど変わっていない。
1938年、バランタイン社はブレンディングに必要なグレーンウイスキーを製造するための蒸留所をダンバートンに建設する。
敷地内には、小さなモルトウイスキー蒸留所や広大な貯蔵庫、そしてブレンディングやボトリングのための工場が併設された。
1950年代初頭、海外出張した日本のビジネスマンが17年を土産として持ち帰り、その評判が高まっていた。
1986年、バランタイン社のウイスキー販売量が世界第3位となる。
バランタイン社のある一人は「味が落ちずに、これほど変化に対応することができるのは、飛び抜けて良質なウイスキーだけなんだ」と語る。
まとめ
これは、非常に難しい感想となりますよ。
美味しいのは間違いない!
でも、17年のクオリティが高すぎて、かつお値段が半額くらいなので、21年よりも17年にサトイモは軍配が上がってしまいます。
まぁ、17年とは方向性がやや異なる気もします。
あちらは、華やかなんだけどスモーキ―が結構しっかりで、酒質どっしり系。
こちらは、30年に似て華やかさとリッチ、フルーティにふりきってて、人によっては無個性のように感じそう。
個性のシングルモルトが流行っている昨今では、ちと分が悪い気がしますねぇ。
とはいえ、こちらもいずれ評価されるトレンドが来る時もあるのでしょうかね。
人々の好みやトレンドも面白いですねぇ。
ではでは今日も夜な夜な琥珀色また!