グレングラント好きなサトイモ、期待値が上がるねぇ
サトイモの感想:ライトだけどリッチでフレッシュフルーツ!
好き度:7/10
試してみる価値度:7/10 参考価格¥5000前後(25/1)
- アルボラリスが好きな方
- ライトでリッチ、フルーティが好きな方
香り:リッチ、スウィートフルーティ、シトラス、ハチミツ
味わい:フルーティ、ハチミツの甘さ、すっきりミント、柑橘酸味
グレングラント・プチ情報
・イタリアではシングルモルトといえばグレングラント
これぞ、グレングラントって感じの味わい!
グレングラント蒸留所について
参照:世界のウィスキー図鑑 デイブ・ブルーム:著
主なブレンド先:シーバスリーガル、オールドスマグラー
年間生産量:620万ℓ
ジョンとジェームズのグラント兄弟がロセス初となる蒸留所を建てたのは1840年。
アベラワー蒸留所で蒸留技術を学んでからのことだった。
ジョンはいわゆるジェントルマン蒸溜家。
いっぽうジェームズは技術者であり政治家でもあった。
蒸留所を建設した翌年、ジェームズはロシーマス港とエルギン、さらにロセスを経由してクライゲラキまで結ぶ鉄道を敷設するよう、エルギン&ロシーマス海運会社に働きかけた。
やがて鉄道は開通したが、これはひとえにグラント兄弟が、当時の金額で4500ポンドもの資金を投じて建設してくれた賜物である。
普通、蒸留所は機能的なものだ。
その立地が壮観であろうと建物の外観が美しかろうが本質的には工業用地である。
しかしグレングラントは例外である。
この蒸留所について語るとなると、1978年まで経営を続けた並外れた一族の物語だけでなく、ジェントルマン蒸留家時代の到来についても多くを語ることになる。
ジョン・グラントほどに放縦なふるまいをした蒸溜家はいないが、さらに輪をかけて放埓だったのは1872年に事業を受け継いだ甥のジェームズ(別名ザ・メジャー)だ。
ザ・メジャーは、まさにビクトリア朝時代の空気の体現者で、大の狩り好きかつプレイボーイ、そして工学と革新的な考えに興味を示した。
彼はハイランドで初めて自家用車を所有し、電灯を使った。(電源は蒸留所の水力発電機から得た)
ロセスではブドウも桃も育ちにくい土地だったが、スペイ川沿いにメジャーが建てた堂々たる娯楽施設では、そうした果物が全て栽培されていた。
グレングラントは今も、行動力あふれるザ・メジャーの心意気がありありとうかがえる。
当初は2基だったスチルが4基に増え、そのうちの1組は大型のウォッシュスチルと小型のスピリットスチルからなる”小さなジョージィ”と呼ばれるペアだ。
現在はスチームで加熱する8基の大型スチルがあり、ウォッシュスチルは、太いネックの根本部分が旧ドイツ軍のヘルメットのように膨らんでいる。
ラインアームは全て下向きに伸び、精留タンクへとつながっている。
「精留タンクはザ・メジャーの時代からある」と語るのは、マスターディスティラーを務めるデニス・マルコム。
「きっとメジャーはライトなスピリッツを作りたかったんだ」
現在のニューメイクは非常にすっきりとして青い草やリンゴ、バブルガムのような特徴がある。
ザ・メジャーが始めた工程に微調整が加えられ、こうした特徴にたどりついたのだろう。
ヘビーなスタイルを生んだという小さなジョージィのペアは1975年に運転を停止し、ピートの名残は1972年にすでに消え、シェリー樽は、主にバーボン樽にとって代わられた。
イタリアの市場でグレングラントが愛された要因は、そのライトな味わいだった。
同国で大きなシェアを占めたグレングラントは、2006年、イタリアのカンパリ・グループに1億7千万ポンドで買収されるにいたった。
再生されたザ・メジャーのつくった庭園では、小鳥の声があふれて生垣の香りが漂い、崖の洞窟にあるザ・メジャーゆかりの貯蔵庫からの生まれた酒をすすることができる。
日の光に目をやれば金色のもやが庭園をつつみ、そこには丘を登る小道があり、温室には桃の実が実り、車庫には愛車ロールスロイスが置かれている。
まとめ
アルボラリスの衝撃からはや2年…
グレングラント10年を飲んで、旧ラベルのメジャーリザーブを経て、12年にたどり着く。
ふぅむ、同じ系統なので、予想通りというか、期待値を上げすぎてしまった感があります…
12年美味しんだけど、これを買うんだったら、10年のほうがいいかなぁ
もう家に10年ないから、飲み比べできないけど、飲み比べたらその差が明らかになるのかなぁ
気になるところです。
ではでは今日も夜な夜な琥珀色また!