33話 山崎蒸留所について
今回は、来年で100周年を迎える山崎蒸留所を紹介される。
1923年鳥井信治郎により京都と大阪の境目、天王山のふもとに創立。
日本ウィスキーを牽引してきた。
日本初の本格ウィスキー白札や今も愛される角を生み出したのがこの山崎蒸留所。
サントリーチーフブレンダー、福與伸二氏は山崎の原酒の特徴を語る。
”モルティ、フルーティ、骨太な味わい”
サントリーウィスキー・アンバサダー佐々木太一氏はこう語る。
”日本初の蒸留所で、100年間続けてきたプライドを携わっているすべての人が持っている”
1929年、国産初の本格ウィスキー、白札を生み出す。
”断じて舶来を要せず”
(煙くささが当時受け入れられなかったが)ジャパニーズウィスキーの可能性を示した。
1937年、角の登場。
日本人にあう豊かな香味を実現。ロングセラー商品となる。
オールド、ローヤルによって日本ウィスキーを人々に定着させた。
2代目佐治敬三の時代に生まれた”山崎”はいくつものウィスキーコンペティションで賞を受賞。
2003年、山崎12年が日本初の金賞を受賞して以来、数々の賞を受賞している。
その後のジャパニーズウィスキーブームの火付け役となった。
佐々木氏による蒸留所の案内へ。
巨大なマッシュタンは容量、4トンと16トン、あとの工程のことを踏まえて仕込みの量を調整して作り分けを行う。
原料もスコットランド産を使い、伝統的な方法を踏襲している。
ピートのスペックを伝え、向こうのモルトスターでフェノール値(モルトに焚き込むピートの強さを数値で表したもの)を指定して輸入するので、100%スコットランド産のピートといえる。
発酵は、木桶とステンレスの二種類。
5mの深さを誇る8つの木桶の発酵槽。ステンレスが12基。
2種類を用いることで、ここでも作りわけを行っている。
60時間の発酵時間。
ディスティラリー酵母とエール酵母を使っている。
”100年続けてきてわかったこと”
そのテクスチャーをひとつづつ積み重ねていく。
それが今の形、方法へと受け継がれているのだ。
広大な蒸留所の中でもひときわ目につくのが、12基のポットスティル。
初留を左に置き、右は再留釜となるが、形はさまざまだ。
スコットランド、フォーサイズ社と三宅製作所のポットスティルを使い、初留は直接加熱方式、再留は間接加熱方式を用いる。
伝統を受け継ぎながらも進化を止めないこと、それが100年続けられた理由かもしれない。
2013年に蒸留所を増設。
意味合いは原点回帰。そこに並ぶポットスティルは1923年に造られた初留、再留釜のポットスティルを再現した。
重たい酒質のウィスキーを生み出すという。
”進化と回帰”が今の山崎を物語る。
伝統の街、京都では面白い試みもみられる。
数珠づくりの老舗は、ウィスキーの樽を削りだして、ウィスキーウッドの数珠を販売しているのだ。
樽は廃材となり燃やしてしまうので、それではもったいないと再利用したという。
礎を築いた鳥井信治郎と、シングルモルト山崎、白州、ブレンデッドで人気の響などを世に出して、サントリーを次のステップへと押し上げた佐治敬三の銅像が並ぶ。
佐々木氏は、佐治敬三の人柄にもひかれてサントリーについていきたいと思ったという。
自らを”サントリアン”と呼ぶ。
サントリアンはウィスキーの品質向上を追求していく。
2007年、ウィスキーがどん底の時、サントリーはアンバサダー制度を立ち上げる。
その一期として佐々木氏は今も携わり続ける。
ジャパニーズ100年を迎える今、佐々木氏は100周年をどう考えるのか?
”次の100年をどうつなげるか”、そこに想いがむいているという。
福與氏は”100年の重み”を感じている。
これまで携わってきた人々、自然に対する感謝と、それを受け継ぐ責任についても語る。
34話 山崎蒸留所続き
1929年 日本初のジャパニーズウィスキー「白札」の登場。
「醒めよ人!舶来妄信の時代は去れり酔はずや人 吾に刻さん 至高の酒 サントリーウ井スキーはあり!」
という強烈なキャッチコピーと共にジャパニーズウィスキーは幕を開けた。
”FIRST BORN IN NIPPON”
と書かれたラベルには作り手の強い自信が感じられる。
鳥井信治郎が山崎蒸留所設立を天王山のふもとに選んだ理由とは?
佐々木氏この場所が選ばれたのは”必然性”と語る。
天王山は、本能寺の変の後、羽柴秀吉と明智光秀による天下分け目の戦が行われた場所。
古くから名水の里としても知られる。
和歌にもたびたび登場する水無瀬の滝。
水無瀬神宮に湧き出る、”離宮の水”は名水百選にも選ばれている。
千利休もこの水に惚れ茶室を構えたともいわれている。
山崎蒸留所は水源を同じにする水を仕込み水に使用している。
モリアオガエルが住み着くのはキレイな水の証拠だという。
硬度約90の中軟水。
ミネラルが多いため、複雑な香味や重厚感がある原酒が生まれる。
山の中腹になるため気温の高低差は激しい。
桂川、宇治川、木津川が合流するのが、ここ山崎になる。
嵐山、琵琶湖、奈良と水が流れてくるため水温が違い、ぶつかるときに霧が発生しやすい。
この湿気もウィスキーづくりの良い環境に貢献している。
スコットランドに似た湿潤な気候なのだという。
物流面でも大変優れた場所。
川による水運、鉄道が敷かれ京都、大阪と行き来が便利である。
水、気候、交通の優位性。
山崎が100年続けてこられたのは必然なのかもしれない。
貯蔵庫へ。
積み方はダンネージ式。
樽も多種多様。
前歴と木の質が重要。
貯蔵庫は山崎、近江、白州にあり、環境はそれぞれ異なる。
樽の工場は近江と白州にあり、輸入した樽材を造ることもあれば、リフィルすることもあるという。
多用なつくりわけができることで、多彩な味わいを実現している。
鏡板が黒い板はグレーン原酒。
主に知多蒸留所で蒸留されたもの。
鏡板の左側に「J」(JAPANの材質の意味)の文字が刻印されたものがミズナラ樽。
太平洋戦争による樽不足から、山崎蒸留所で始まったミズナラ樽での熟成は、時を経てその独特の香味が評価され、いまや”ジャパニーズウィスキーの象徴”とされている。
シングルモルト山崎のキーモルトとしても欠かせないもの。
鏡板の1924の刻印とは。
23年最初に蒸留したものを詰めた最初の樽。
CADIZの刻印とは。
スペインの南西にある町の名前。
この樽に5年詰められ製品化あれたのが、最初のジャパニーズウィスキー”白札”だ。
1937年、角瓶も12年ものを出すが、この樽にある原酒が使われたという。
100年間眠っている樽、歴史を垣間見れる貴重なものになる。
敷地の中央の先には鳥居が見える。
椎尾神社、奈良時代に建立されたといわれた氏神だ。
木々に囲まれた神社が神秘的な雰囲気を生み出している。
信心深かった鳥居信治郎は荒れていたこの神社を整備し再興した。
毎年、この場所でサントリーの祭礼が行われている。
11月11日 午前11時11分に始まる。
最初の一滴が生まれた時刻だという。
年に一度、原点に返る大切な時間だ。
チーフブレンダーの福與伸二氏について。
白州蒸留所やスコットランドでウィスキーづくりを学んだが、のめりこんだのは山崎蒸留所にきてからだという。
入社2年目くらいの時に、先輩と飲んでいる時に
どんなお酒が好きか?と聞かれた。
当時高級なローヤルなんて答えたが、
先輩はスコッチの30年ものを持ち出して、
「世の中にはこんな美味しい酒があるんだ、一緒に作ろう。」と言われた。
美味しいウィスキーづくりをしたいと感じた一つのきっかけだった。
Whiskey×Topix
インテリア×ウィスキー
大阪梅田にある、”サントリー樽ものがたり”
その特徴は、ウィスキーを熟成した樽を再生して作った家具やインテリアのお店。
実際にウィスキーが入っていた廃材が、独特の味わいをもった家具を生み出すとともに、環境保全にもつながる。
樽キャビネット、樽そのまま使ったウィスキーファンにはたまらないインテリア商品だ。
一つ一つが一点もの。
使うごとに馴染みと愛着が生まれる。
長年、樽と付き合ってきた企業だからことの発想と自然への感謝の気持ちから生まれた結晶だった。
まとめ
ミズナラ樽の発祥に戦争が関係していたなんて。。
いつも、美味しいウィスキーはピンチに対応したときに生まれるんですね。
先回も今回もサントリアンの山崎蒸留所に対する並々ならぬ気持ちが今の美味しいウィスキーを生み出しているのがよくわかる回でした。
次回も山崎蒸留所についてですね。
ジャパニーズウィスキー創世の歴史は1回、2回では語りつくせません。
次回もこうご期待!