35話 国産ウィスキーの歴史
”日本人の手で世界に誇り日本のウィスキーをつくりたい”
そうして思いで生まれたの角瓶は今では定番になった。
鳥井信治郎は、高級な飲み物だったウィスキーを大衆化させたのだ。
サントリーは大衆が好む味にこだわり続け、1950年代にはトリスバーを展開。
日本にウィスキー文化を広げていった。
サントリーオールドは食事をしながらウイスキーを飲むということが80年代前半から始まっていった。
今では当たり前になったウィスキーと食事のペアリング。
ウィスキーにあう料理も提案している。
山崎蒸留所 ウィスキー館
サントリーと鳥井信治郎の歴史がウィスキー館に展示されている。
1923年から残っている唯一の建物。
階段の中ほどには、ボトル・アパートメント1928のオブジェが。
この博物館はその昔、瓶詰の場所として使用されていたのだ。
鳥居信治郎の歴史
鳥井信治郎の歴史がそのままジャパニーズウィスキーの歴史といっても過言ではない。
13歳の時、丁稚(でっち)奉公に出たのは薬種問屋。
外国から輸入した薬品やぶどう酒を扱う店として知られており、洋酒の知識を深めることができた。
20歳の時に独立。
経験をもとに、自身の口にあう果実酒の試作を始めた。
8年後、世に送り出したのが、”赤玉ポートワイン”だ。
日本人が好む甘い味を実現。赤玉ポートワインは大ヒット。
1921年、寿屋を設立。
”日本人の手で世界に誇り日本のウィスキーをつくりたい”
その志を胸に本格的なウィスキーづくりが始まった。
1923年、山崎に日本初の蒸留所を建設。
本場スコットランドで留学経験のある、竹鶴政孝を招き、国産ウィスキーの製造を開始。
”醒めよ人!舶来盲信の時代は去れり 酔はずや人 吾こに国産 至高の美酒 サントリーウィスキーはあり”
1929年、この強烈なコピーをもとに白札を発売。
当時ウィスキーを飲んだことがない人たちに、本場のウィスキーを飲ませても煙臭いと、受け入れらなかった。
1930年代には蒸留所の休止に追い込まれた。
しかし、信治郎はその失敗にも情熱を失わなかった。
山崎蒸留所にとまりこみ、原酒の改良と、ブレンドに没頭。
1937年、そこで作り上げたのが角瓶。
当時は12年物を使っていた。
日本人の味覚にあった繊細な味わいを実現。
今では日本で一番人気のウィスキーだ。
”モノいわぬ原酒と会話ができるようにならないと一人前のブレンダ―とはいえぬ”
これが彼の口癖だったという。
その飽くなき挑戦がトリス、オールド、ローヤル、次々と銘酒を生みだした。
信治郎の強い”探求心”と”冒険心”がいまも続くウィスキーづくりの原点。
来年で100年を迎える山崎蒸留所。
今日も鳥井信治郎の意志を受け継いでウィスキーを作り続けている。
定番商品
1946年、戦後すぐに誕生したトリスウィスキー。
安くても品質のよいウィスキーを飲んでもらいたいという思いから、当時高級だったウィスキーを大衆化させた。
チーフブレンダー福與氏によると、夏はトリスのハイボール、レモンのピールをいれて。
それが定番の飲み方だという。
1950年代にはハイボールが看板メニューのトリスバーが登場。
ウィスキーは大衆化し暮らしに溶け込んでいった。
その後、水割りの文化に入っていって、サントリーオールドの80年代前半の時代にはお酒を飲みながら食事をするようになる。
サントリーウィスキーハウス
大阪梅田ブランフロント大阪、Whisky Dining WWWWでは、ウィスキーとそれに合う食事、ペアリングを提案している。
サントリーが扱う約60種類のウィスキーと、それにあわせた料理を提供。
店の奥にある、ボトルキープ専門のWhisky Bottle Bar。
存在感を放つのが響。
サントリーのブレンデッドウィスキーの最高峰。
山崎、白州のモルト、知多のグレーン、その数十種類をブレンド。
複層的な味わいが楽しめる。
響のロックに合わせるのは、”豚肉とカシューナッツの甘辛炒めウ―シャンフェン(五香粉)の香り”。
山椒、八角など数種類のスパイスで香りを加えた一品。
響の幾重にも広がる味わいと香りがマッチする。
アードベッグデー
毎年6月上旬には、アードベッグデーが世界同時開催される。
日本では東京・原宿で開催。
コロナ禍でもあり3年ぶりの開催だったが、個性的な世界観が表現された。
今年のテーマのパンク。
もとなったのは、限定ボトルのアードコア
極限まで焙煎したブラックモルトで型にはまらず常識を覆す味わいからきているそう。
バー文化
BAR K6
オーナーはこの地で数々のバーを手掛ける西田稔氏。
店内には西田氏の似顔絵が飾っている。
書いたのはトリスのアンクルトリスの生みの親、柳原良平氏。
今回話を聞いたのは西田氏の愛弟子、西尾博之氏。
K6に20年務め、今では店を任されている。
おススメのボトルは、グレンファークラス1994 25年。
K6、25周年のとき、オリジナルで瓶詰したものだ。
西田氏がグレンファークラスの蒸留所へ行き、何十種類もの樽の中から選別して、何度も何度もテイスティングをして決まったボトル。
味わいは非常に強く、ダークチョコレートやカカオ、コーヒーのようなニュアンスを感じられる。
そして、もう一つ。
エッセンスオブサントリーウィスキー。
サントリーならではの、多彩に作り分けられた原酒の特徴を感じる限定品ボトルだ。
- ワイン樽で熟成された、シングルグレーン(ワイン樽4年後熟、知多蒸留所)
- 白州をべースにしたブレンデッド(クリーンタイプ)
- 山崎をベースにしたブレンデッド(リッチタイプ)
サントリーの名誉ブレンダー輿水氏や福與氏も訪れる。
西田氏は語る。
響17年があったころ、蒸留所に行って働かれている方を見たり話を聞いたして、響17年を飲むと、感動して美味しかったという思い出がある。
作り手の顔を想いながら飲むお酒は、普通に飲むお酒とは全然表情が変わってくる。
36話サントリーの新たな挑戦
100年目のイノベーション。
ワールドブレンデッドウィスキー”碧”で世界初の試みで表された。
世界の5大ウィスキーをブレンド。
日本からは山崎蒸留所の原酒が活かされている。
今回は作り手がちの思いに迫る。
福與氏いわく、ブレンドに終わりはない。
こだわりとして、ブレンド決定後も これでよかったのかと自問しつづける。
2019年発売、ワールドウィスキー碧。
5つの国の原酒をブレンドするのでっ非常に複雑。
スコッチならスコッチ、ジャパニーズ、バーボンと飲みなれた味があると思うが、驚かれる方もいるかもしれない。
あまり経験したことのない香りの構成になっている。
- スコッチはアードモア・グレンギリー
- アイリッシュ クーリー
- アメリカン ジムビーム クレアモンド
- カナディアン アルバータ
- ジャパニーズ 山崎 白州
はじめに感じる甘みはスコッチのグレンギリー
酸味は山崎のシェリー樽由来
余韻のバニラは圧倒的にバーボン
飲みながら世界を回ることができる碧
山崎蒸留所 引き継がれる想い
伝統の技と、造り手たちのゆるぎない信念は、より洗練され鮮やかな光彩を放ち続ける。
福與氏は語る。
スコッチウィスキーをお手本にして始まった日本のウィスキーづくりがここまできて、
この時代に新しい多くのこの業界でチャンレンジをする方々が増えてきて、世界からも見られている。
恥ずかしくないつくり、品質というのをみんなで協力しながら、ジャパニーズウィスキーというカテゴリーそのものを、ちゃんと維持し発展していくようなかたちができればいいかなと思っている。
よりよいものを作るために、長い年月をかけ、多くの人が携わりつくられていく、”時間の酒”
- あなたにとってウィスキーとは?
一言で言うと、”浪漫”。長い年月かけて作り手の想いがつまったウィスキーにロマンを感じます
貯蔵担当 嘉満氏
これからも一緒に仕事をしていく中できってもきれない、自分の生活の中でも常に隣にある存在かなと思っている
蒸留担当 樫村氏
未来に向けプレゼントだと思っている。
将来、自らがつくったウィスキーが人々の手にわたって飲んでいただける、うれしい、おいしい、たのしいという気持ちをみんなと共有できるのは、この上なく浪漫あふれる飲み物だと思っている
仕込発酵 担当澤氏
友達。
仕事でも人生でもない、いつもそばにいて、すぐ集まってくれる、集まった人間は楽しいやつばっかり。
時間も気にしないで付き合える。
仕事だけでもうまくいってないし、プライベートだけでもうまくいってない。
両方にかかわってすごく楽しくウィスキーの仕事させてもらってるので
強いていうなら、友達。
いい友達?
いい友達、悪い友達もいるけど、ブレンドするといいウィスキーになるので、そんなやつがいてもいい
優等生ばっかりじゃつまんないっていうことですね。
悪い友達もいたほうが楽しい。
アンバサダー 佐々木氏
仲間のようでもあり、家族のようでもあり、ライバルのようでもあり、つかみきれない。。何十年も相手してきたかた、というしかいいようがない
チーフブレンダー福與氏
今までの100年、これからの100年。
山崎蒸留所から挑戦し続けていく。。
まとめ
鳥井信治郎氏が始めた国産ウィスキーづくり。
始まりは苦難の連続だったが、念願の日本人の口にあう繊細な味を完成させた。
彼がことあるごとに口にしたのが、”やってみなはれ”
結果を恐れてやらないことを悪とし、為さざることを罪とした。
その精神のもと、作り手たちは失敗を恐れず挑戦し続け、次々と銘酒を生み出し、サントリーは日本にウィスキー文化の礎を築いたのである。
品質に妥協を許さない、作り手たちの強い思いが脈々と引き継がている。