秩父蒸留所因縁の蒸留所?
サトイモの感想:ほぼスペイサイド!!
好き度:9/10
コスパ:6/10 参考価格¥5000円前後
- スコッチ・フルーティなブレンデッドモルトが好きな方
- 羽生蒸留所、秩父蒸留所の歴史に興味がある方
分類:ブレンデッドモルト
度数:43%
香り:麦、フルーティな甘み、フレッシュな柑橘、奥にシナモン、徐々に開いてスペイサイドのフルーティ系ウィスキーの香り
味わい:少しの刺激、華やかなフルーティさ、軽すぎずミディアムボディ、しっかりとした原酒の強さ、麦感、ピート香も奥に
ハイボールが美味い!麦の旨味、フルーティさのバランスが爽やかなソーダで一気に花開く!
ものすごうまいやないかい!!
貯蔵年数の異なる複数のスコットランド産モルトをブレンドした味わい深いピュアモルトウイスキー(ブレンデッドモルト)。
東亜酒造の歴史
1625年 東亜酒造の前身となる肥土酒造本家を創業。
肥土伊惣二の代で秩父鉄道開通を機に秩父から羽生市へと移転。
日本酒、焼酎、合成清酒、ウィスキーを製造販売した東亜酒造の設立者、羽生蒸留所を運営していた肥土伊知郎氏の祖父は埼玉における酒造界の雄だった。
1946年にはウィスキーの製造免許を取得。
1959年東亜酒造と社名を変更、祖父が陣頭指揮をとり蒸留所の製造設備、整備をして羽生蒸留所として本格的に稼働を始めることとなる。
ゴールデンホースと命名し売り出すが、国内のネーミング問題でホワイトホース社と裁判になり勝利する。
現在もゴールデンホース武州・武蔵として販売され続けている。
1980年以降、本格的にポットスチルなどスコッチに似た環境が整い蒸留が始まる。
1980年代、輸入ものの手頃なスコッチなどで国内のウィスキー熱が高まり東亜酒造は地ウィスキーブームの先駆けとなる本格的な自社蒸留ウィスキーの製造に着手していき当初は順調な売上を堅持する。
しかし、高度成長期を経て、1980年代中盤以降の焼酎ブームや洋酒でもワインやカクテルなど、消費者の好みも拡散してしまったので、洋酒といえばウィスキーの時代は終焉を迎え、東亜酒造の売り上げも下降していく。
祖父や父の代で樽詰めされたウィスキーは熟成庫でその眠り続けることとなったが、そのウィスキーは後に伊知郎氏によって大化けすることとなる。
そんな中2000年には民事再生法を申請し、事実上倒産することに。
債権者に対する説明責任や信用回復に奔走しなんとか立て直そうとするも、2003年に日の出みりんの製造元として知られる日の出ホールディングスへの営業譲渡を決定することになった。
東亜酒造の自主再建を断念して他の酒造会社に譲渡することで、東亜酒造という金看板を残し、肥土酒造肥土本家から続く東亜酒造が肥土家から離れて人手に渡るという苦渋の決断をし、つらい日々を過ごしたという。
オーナーである日の出通商はウィスキー事業に全く興味がなく、ウィスキーのような時間がかかるビジネスに、不要と早々と撤退を決断。
2004年東亜酒造は日の出通商グループ入りをし営業権を譲渡した伊知郎氏は同社を離れることになる。
まとめ
肥土伊知郎氏がその後、秩父蒸留所を立ち上げ、大ブレイクを果たすとき、羽生蒸留所の廃棄を免れた原酒たちは、大活躍するのでした…
肥土伊知郎氏、東亜酒造、秩父蒸留所の歴史についてはこちらをどうぞ↓
クラフト蒸留所の雄、秩父蒸留所擁するベンチャーウィスキーについて
正直、肥土伊知郎氏の身の上話を聞いていたので(↑上記記事)、東亜酒造に対する良い印象がなく、今更ウィスキーブームに乗ってウィスキー造りに帰り咲いても、もうあなたの場所はないよ…的な気持ちが湧いていたのですが…
うまいやないかい!
というのも、今回のものは100%スコッチブレンド。
前情報なく、飲んだ時、あれスペイサイド??のボトルと間違えた?というくらいスコッチだったので、よくボトルを見るとスコットランド産になっている…、という。
とても、複雑な気持ちにさせられたボトルでした(笑)。
これから蒸溜した原酒をつかってブレンデッドなりシングルモルトなりが出てきたとき、また出会いたいですね。
次回は偏見なく、向き合いたいと思います。
では今日も夜な夜な琥珀色、また!